私たちの平和宣言【令和元年~令和5年】


令和5年

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私達の平和宣言

                              

令和5年8月6日 広島

 

 かつて、60万人に迫る同胞が無差別爆撃で殺害されました。それは、どの国も守るべき国際慣習に悖る「戦争犯罪」でした。

78年前の今日、広島はその最大の悲劇に襲われました。あの日、広島上空に突如現われた灼熱と爆風が、一瞬にしてすべてをなぎ倒し、焼き尽くした瞬間を体験し、あるいはその破壊の跡で育った私達には、凄惨極まる情景が今の広島と二重写しとなって浮かんできます。焼け焦げた人形のような遺体、あるいは影だけを残した人、皮膚を垂れ下げ、水を求めながら斃れ、あるいは被爆後の様々な体の変化で亡くなった全ての皆様に、心からの鎮魂の誠を捧げます。

 

 今年5月の広島サミットで平和祈念資料館を見学したウクライナ大統領は、「広島は復興を遂げた。瓦礫と化したすべての街と村が復興することを夢みる」と述べました。ロシアの侵略によって民間人まで殺害され、瓦礫の中で自国防衛に努める苛烈な状況において、復興の夢を語ることは、国際秩序を力で変更する勢力への不屈の覚悟を示したものであり、私達は深い感銘を受けました。

 

復興、それはまさに広島市民が艱難辛苦で果たした努力と、自らの被害よりも被爆地を特別に配慮した全国民の支援の賜物です。私達は、ここに改めて全ての日本国民に深い感謝を申し上げます。ウクライナの復興は、自由と独立を達成しての平和回復無くしては始まりません。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」すれば平和が訪れるとする我が国憲法理念の空想性は明らかです。

 

国連総会は、1970年に国連憲章に基づく「友好関係原則宣言」を採択しました。そこでは、「国の領土保全と政治的独立に対する武力の威嚇と行使」を否定する一方、それが破られた場合には「外国に占領された人民は自決のために抵抗し、援助を求め、かつ受ける権利を持つ」と定めました。ロシアの侵略に抵抗するウクライナへの様々な支援を「戦争を長引かせるものだ」とする批判は的外れなのです。

 

「核兵器禁止条約」が依拠する国際法である「国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」では、この宣言に基づき「人民が外国による占領に対して戦う武力紛争」を正当な行動だと規定しています。さらに、「核兵器禁止条約」第17条には、「自国の至高の権利を危うくする場合」の脱退条項があります。「自国の至高の権利」とは「自決と自由と独立、領域の保全」に外なりません。

 

 広島サミットの宣言では「我々の安全保障政策は、核兵器が存在する限りにおいて、防衛の役割を果たし、侵略を抑止し、戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づく」と明言しました。被爆者とその兄弟、子孫を中心とする私達は、現在の国際情勢において、これが極めて妥当であると評価します。メディアに登場する被爆者団体などは、「核兵器廃絶の道筋が無かった」「核兵器禁止条約に加盟すべき」などの非難や難詰に満ちています。しかし核兵器廃絶は究極の願望ではあれ、少しでも国際関係の現実に適っているのでしょうか?

 

 まず、我が国が核兵器禁止条約に加盟すると、その一条と二条によって直ちに日米同盟は無力化され、それに代わる安全保障体制はありません。次に、我が国周辺の専制体制国家の核兵器恫喝を伴う圧力に対し、この条約は全く無力です。昨年の8月、中国軍は台湾封鎖のための軍事演習を行いました。六つの指定海域の一つは我が国EEZであり、弾道ミサイルを正確に着弾させました。全11発中5発が我が国EEZでした。日本政府の抗議に対し、中国報道官は「関連海域は、境界を定めていない。日本のEEZという話はどこからきたのか」とうそぶきました。

 

 また、国連に議席をもつ核兵器禁止条約加盟の65ヶ国には、背信的行動を為す国が多数あります。ロシアの侵略以降、今年2月までに、国連総会はロシアに対してウクライナへの侵略非難、即時撤退と平和の回復など、計6回の決議を採択しました。これらの決議全てに賛成した条約加盟国は23に過ぎません。残りの国は、棄権や欠席、反対を取り交ぜて侵略容認かとも思われました。核恫喝をする国や、力で秩序破壊をする国と共同する条約加盟国もあります。締約国会議で、キューバなどと共にロシア批判を排除させた南アフリカは、今年の2月、核兵器能力のある艦艇を入れた、ロシアと中国海軍との合同軍事演習を行いました。さらに、複数の条約加盟国も参加した6月のBRICs会合では、国際刑事裁判所が逮捕状を出したロシアのプーチン氏を「合法的に招聘」する検討まで行いました。

 

 歴史を思い起こせば、核兵器の無い時代から戦争はありましたから「核を廃絶」しても平和は達成できません。核廃絶のためには全てを投げ出すような主張は間違っています。北朝鮮の核攻撃対象である我が国が、中国とロシアの海軍や空軍による日本周回、領空領海の侵犯を繰り返されても正当な対応が取れないのは、我が国憲法の不作為条項が原因です。国連の「友好関係原則宣言」には、「国の領土保全及び政治的独立は不可侵である」と掲げられています。「個別的または集団的自衛権の行使によって我が国自身を守る」ことが出来ずして何の平和でしょうか?

 

核兵器の使用はもとより、核兵器を恫喝の道具ともさせないためにも、我が国は安全保障を強化する必要があります。今の平和を維持するため、そして過ちを繰り返えさせないためにも。

                     

平和と安全を求める被爆者たちの会

 


令和4年

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私達の平和宣言

 

                      令和4年8月6日 広島

 

 あの日から77年、あの時を過ごした仲間も、原爆の痕跡も、残るものはわずかになりました。しかし、あの惨劇に出遭った私達、子どもであった私達、さらにその子ども達もまた、長い苦闘の日々を忘れません。人間の残骸を、人であった塊を、有り合せの木切れで荼毘に付し、日々の糧を求めてさまよい、あるいは負傷者を助けながら、やがて自身も不可解な体の変化で斃れていく。生き延びた人々は、人語に絶する苦闘を重ねながら子どもたちを育て、街の復興を成し遂げられました。そして日本全国で千を超える無差別爆撃は、60万人に迫る同胞を殺害しました。それは紛れもない「戦争犯罪」でした。

 

そして今また、ロシアはウクライナで無差別殺戮の戦争犯罪を実行しています。現代世界の平和と安全に責任を有する常任理事国が、不当な戦争を続ける理不尽は、私たちの信じた平和の秩序が崩壊し、国連が機能しない現実を見せつけました。リアルタイムで映し出される死傷者や破壊された建物は、あの日の私たちの姿と重なり、胸が塞がる思いです。

 

 これは紛れもない戦争です。但し、ウクライナの戦いは、外国の占領に対して「自決の権利を行使して戦う武力闘争」であって、国際法が正当と認めるものです。他方、ロシアの核兵器使用の威嚇は、ロシア本土への反撃を防ぎ、戦闘がウクライナ領土に限定されるという、侵略側だけが有利になる状況を作りました。このことは、昨年1月に効力が発生したと主張する「核兵器禁止条約」が、現実には如何なる効果も発揮しないという事実を突きつけました。そして今年6月の「第1回締約国会議」は、ロシアを支持する少数の加盟国が反発しただけで、ロシア批判が悉く排除された最終文書が採択され、反核の名に値しない会議であると印象付けられました。

 

参加した日本の被爆関係団体が、核恫喝には目を閉じて「文書が採択されたこと」自体を会議の成功だと喜び称え合う姿には、私達は大きな違和感を禁じ得ません。

 

 翻って日本を取り巻く状況は、ウクライナと連動しながら悪化しています。核兵器を搭載できる中国とロシアの爆撃機の編隊は、威嚇的に日本周回、北海道周回を繰り返し、台湾の防空識別圏には最大で百を超える攻撃機編隊が侵入しています。北朝鮮は核兵器とミサイルの増強を続けています。ロシアに占領されたウクライナ国民は自由を奪われました。中国は、香港において、ウイグル、チベット、内モンゴルにおいて、おぞましい人権弾圧を続けています。このような国の脅威に晒される日本にとって、対等の関係で平和を維持する安全保障には、独立国家固有の権利であって、国連憲章が推奨する、「集団的自衛権」の発展強化しか道はなく、憲法の改正は不可避です。「核兵器禁止条約」はすべての加盟国に、核兵器と関係物の全情報報告義務を課すため、日本が強化すべき日米同盟とは相容れず、日本の安全保障方策を根底から覆すのです。

 

脅威に曝された欧州は激変しました。中立国スウェーデンとフィンランドはロシアに対抗するためにNATOに加盟して核抑止力の傘下に入ります。スイスですらNATO加盟支持の世論が30%を越える状況です。一方で「核兵器禁止条約」加盟国には、中国の、香港やウイグル弾圧を支持する決議提出国が16も含まれます。先に述べた「第1回締約国会議」でICANは言いました。「日本の被爆者は失望している。被爆者や他国の話を聞くべきだ」と。私達は言います「異民族弾圧を支持する国が多く加盟する核兵器禁止条約には失望している。私達のような被爆者や、NATO依存を強めたドイツ、フィンランド、スウェーデンの話を聞くべきだ」と。もう幻想は終わりです。被爆者も様々です。広島市は「安全保障は国政で議論すべきものである」との公式見解を出しながら、それと裏腹の、日米同盟を棄損する「核兵器禁止条約」を推進する「平和行政」は不誠実です。

 

被爆者である父母たちは、苦難を克服して見事な復興を成し遂げました。そのことに対し、私達は深い感謝を申し上げるとともに、幾多の犠牲者へ鎮魂の誠を捧げます。皆様の、苦難を克服する心とその努力は、私達が引き継ぎ、日本の現実的な平和と安全を強化させることを誓います。どうか安らかにお休み下さい。過ちは“繰り返えさせません”から。

 

           平和と安全を求める被爆者たちの会


令和3年

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私達の平和宣言

 

令和3年8月6日 広島

 

 あの日の朝、突如広島を包んだ暗黒は、この街と夥しい人々を一瞬で破壊しました。史上初の原爆の犠牲者は14万人。戦争とは言え、百万人の死傷者を数えた無差別爆撃という「裁かれなかった戦争犯罪」を私達は忘れません。この地に残ったのは、音の消えた灰色の世界と生命の名残でした。一瞬で溶けた人間の亡骸、体全体に刺さったガラス、幼子を背負って息絶えた母親、瓦礫に埋まった人々、、、皮膚は爛れ、目は飛び出し、衣服は焼け、水を求め、助けを求めて彷徨う黒い人の群れ、、、この世の外の惨状が広がっていました。

 

私達は、この非道な原爆と無差別爆撃に斃れた方々に心からの鎮魂を捧げます。そして、極限の困難を乗り越え、焦土からの再建と発展に邁進された方々、さらに、被爆地にだけ適用される法律を作って、広島復興を支援された国民の皆さんに深い感謝を申し上げます。

 

廃墟と化した土地に留まり、焼け残った材料でバラックを建て、焼け跡を利用した一坪菜園のカボチャやナスで空腹を紛らし、闇市で乏しい物資を集めるぎりぎりの生活の中で、先人たちは復興に邁進しました。そんな境遇の中でも、自らに先んじた支援は、ここの復興こそが敗戦の惨禍に打ち勝つ証なのだとの固い信念の賜物であったと思います。本当にありがとうございました。

 

 その後の国際政治は変転し、東西冷戦は激化して、核兵器の数と規模は大戦中とは比較にならないほど大きくなりました。国際対立は国内に持ち込まれ、平和への願いは社会主義国の核兵器を容認するか否か、核エネルギーの平和利用を認めるか否かという思想的対立に絡め取られ、原水禁運動は分裂し、政治闘争に変質していきました。  

 

かかる状況を見た多数の被爆者たちは、運動から離脱していきました。マスコミが取り上げる「被爆者の意見」とは、決して被爆者全体を網羅したものではありません。

 先の大戦は、核兵器があって起きたものではありません。従って、「反核平和」という言葉には論理的必然性がありません。「核兵器禁止条約」ですらそもそも平和を謳っていません。その前文は「武力紛争での核兵器の使用は、国際人道法の条項に反するから、使用できないように全廃する」という国際人道法を基礎にした論理が示されています。 

 

国際人道法は武力紛争に適用される規則なので、「武力紛争の無い状態を平和」だとする広島市の思想は、この条約とは相容れないものです。にもかかわらず条約の批准を政府に要求するのは、没論理で無節操な「平和行政」だと指摘せざるを得ません。広島市は、現実政治の担う「安全保障」を時代遅れだと批判してきました。しかし、今まさに、専制国家、とりわけ中国による国際法と秩序の破壊が、我が国の、そして世界の安全保障の脅威だと誰もが認識しています。「中華民族の偉大なる復興」に、他国領域の侵犯や、不当支配、異民族の隷従があって良いはずはありません。不用意にも、強大な中国と「当事者同士の対話」にのめり込んだフィリピンは、支配領域を奪われ、忍従を余儀なくされている現実があります。そして新型コロナという疫病は、国境の重要性を再認識させました。国境の安全保障無くして平和と安全はありません。強大な軍事力を押出す中国を前に、独力での安全保障能力のない日本が、米国と同盟関係にあることを、7割以上の国民が支持しています。政府が批准に慎重なのは「核兵器禁止条約」には日米同盟を傷つける条文があるからです。広島市がそれを否定するのならそれに代わる現実的で具体的な手段を出して頂きたい。日本だけで国民の安全を守れないなら、インド・太平洋諸国と連携して専制国家を抑止することです。憲法平和主義を掲げて今日の安全保障に目を閉す所に、未来はありません。戦禍に倒れ、あるいは荒廃した国土を復興された先人の事績を継承発展させる義務を負う者として、私達は今、自らの安全と平和を守ります。過ちを繰り返え“させない”ために。

 

  平和と安全を求める被爆者たちの会


令和2年

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私たちの平和宣言

                       

令和2年8月6日 広島

 

 今も蔓延する新型コロナの脅威に加え、全国の豪雨災害で、我が国は国難のただ中にあります。その犠牲になられた方々に、私達は深い哀悼の意を表します。そして、戦後日本の未曾有の困難を乗り越えた先人たちの足跡を想い、疫病の克服と災害復興を成し遂げたいと思います。

先の戦争では昭和19年半ばから本土への無差別爆撃が本格化し、その数一千四十回以上、死傷者は百万人を超え、罹災者は九百七十万人にも達しました。そして75年前の今日、原爆の灼熱と爆風は広島の風景を一変させました。崩壊した建物、、広漠たる瓦礫、、黒焦げの屍体、、体半分骸骨の亡骸、、生き延びても、溶けて垂れ下がった皮膚、、飛び出した眼球、、助けを求め、当て所なく彷徨う黒い塊、、それは人間であり私達の親であり兄弟でありそして我が同胞でした。  

はっきりと名前を告げて死んだ少年、、全身を覆う包帯の中から「アメリカの馬鹿野郎」と叫んだ者、、母の眼の前で「死ぬのは覚悟しとったよ、お母ちゃんは泣いてはいけん」と最期の言葉を残した少年学徒、、、、年末までには死者十四万人になったと言われています。

最大多数の民間人殺害を目的にした爆撃、それを指揮した米国の将軍は言いました。「もし我々が戦争に負けていたら、戦争犯罪人として裁かれていただろう」と、、、我が国の戦後は、極東地域四十九箇所の、必ずしも公正ではない戦犯法廷で、日本人五千人の投獄と千人以上の処刑から始まりました。かかる国民への圧迫と犯罪的攻撃による荒廃した国土を前にして、私達の父や母、兄や姉たちは、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、街の復興に全力を尽しました。家庭を築き、まだ幼い私達を育ててくれました。私達が今あるのはそのお蔭であり、目の前にはその見事な成果が広がっています。本当にありがとうございました。そして、非道に斃れた数多の魂の安らかならんことを祈ります。

現在に生きる私達は皆様の成された渾身の努力を継承しなければなりません。そのために現実の国際政治の中で、我が国の平和と安全を守ることが絶対に必要だと確信します。

今日、北朝鮮は核兵器を実用化して我が国を威嚇しています。中国は軍備の大増強と南シナ海の違法な七つもの人工要塞によって、周辺諸国を圧迫しています。また、尖閣諸島への領海侵犯を繰り返して侵略の正当化を狙っています。沖縄諸島全体も標的となりました。これは中国が西太平洋全域に覇を唱える第一歩です。ロシアによる隣国侵略と領土の併合に直面した欧州諸国は軍事的対抗に踏み切りました。我が国が新冷戦の東側最前線に位置する時代が来たのです。

過去数十年の交易による相互依存関係は、平和と友好の期待とは裏腹に、中国の軍事的台頭を後押ししました。我が国の「平和主義」的心情とは正反対の姿です。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、人や技術や経済の交流をすれば、温かく平和な世界が訪れるに違いない、、、こう思い込んできた「戦後平和主義」、それ自身が問われてはいないでしょうか?

今は辛くとも厳しくとも、あの原爆を投下した米国との同盟以外に、我が国が当面の平和と安全を保持する道がありません。しかしながら、三年前の「核兵器禁止条約」以来、我が国も条約に加盟するのが戦後の平和主義に叶い、被爆者の願望だ、と言われています。しかし、私達も紛う方なき被爆者と被爆二世として反論します。その条約は日米同盟を揺るがし、我が国の安全を脅かすかもしれません。核保有国が加盟しない条約が核兵器を無くせるでしょうか?憲法の平和主義だけで我が国は平和でしょうか?私達の平和には、自ら守る意思と能力を他国と同様に備える必要があると思います。私達は、そうした断固とした努力によってこそ、過ちを繰り返させない確固たる平和と安全を確保できると信じます。

 

                   平和と安全を求める被爆者たちの会


令和元年

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私たちの平和宣言

 

令和元年8月6日 広島

 

 広島は、あの非道な原爆投下から74年目の朝を迎えました。目を開けば、美しく広がる街並みが見えます。しかし、目を閉じれば今もあの時の凄惨な情景が生々しく蘇ります。この二つの風景の甚だしい落差は、私達の父母兄弟たちが復興に注いだ、偉大な努力の証です。街や生活の再建に傾けた想像を絶する労苦を思う時、私達の心は大きな感動と深い感謝の気持に満たされます。そして、無辜の犠牲者たちの無念の嵐が、ひしひしと胸に迫ってきます。私達は復興を成し遂げられた皆様に対して、心からの感謝の誠を捧げ、偉大な努力を受け継ぎ、非命に斃れた方々の魂の安寧を祈り続けることを約束します。

 昭和20年3月、日本家屋が効率的に炎上するように開発された焼夷弾による東京大空襲では、10万人の犠牲者が生きながら焼かれ、あるいは空気が無くなり窒息しました。米国に集まった科学者達は核分裂を爆弾に変える技術を開発し、最初の原爆を広島に投下しました。さらに3日後には、第二の原爆が長崎を破壊しました。

太陽も欺く閃光と、建物もなぎ倒す爆風は、人間を無差別に飲み込み、地獄の風景を出現させました。影だけが壁に焼き付けられて体が蒸発した人、骨まで曝け出された人、顔も形も留めぬ黒焦げの遺体、、、。無残にも人間の姿を失くした夥しい屍は、廃墟の一部と化しました。そして、生き延びた人々にも、さらなる地獄の苦しみが襲いました。その時は無傷に見えても、数日のうちに皮膚が腫れあがり、ほどなく死んでいった人達もありました。人々は、懸命の救助活動の中で、瀕死の重傷を乗り越える困難と、襲いくる緩慢な死への恐怖に直面し、それらの経験を私達に伝えてきました。全国各都市の爆撃でも、様々な形で生きるための闘いと復興への努力が繰り広げられてきたことでしょう。今、私達があるのは、皆様が恐怖を克服して注がれた血と汗と涙の賜物です。その力を、私達は次の世代に伝える努力を続けます。

 歴史に特筆されるこの過酷な体験と、再建への闘いは正確に記録されなければなりません。それには、原爆攻撃を筆頭に、都市を襲った焼夷弾攻撃が何だったのかという認識が必要です。つまり、一般民間人を無差別に大量に殺害する兵器による攻撃は、もはや「戦争」ではなく「虐殺」である、ということです。当時も現在も、国際法では、戦争を「戦闘員」の資格を持つ者だけに制限しています。歴代の米国政府は、「100万人の連合軍将兵の生命を助けるために原爆が必要だった」と弁明していますが、これは「虐殺の正当化」に過ぎません。

核兵器は一発でも、瞬時に広範な破壊と大量の虐殺を行う恐怖の道具です。しかし、核兵器が消滅したとしても、それだけで戦争は無くなりません。最初の原爆投下のずっと以前から、世界には多くの戦争がありました。このことは、「反核」が決して「平和」を意味しないことを示しています。無差別殺害のための核兵器の使用は広島と長崎の後にはありませんが、今の核兵器は強大になり、技術は高度化し、種類は増え、その数も、保有する国家も増大しています。

核兵器国ロシアとの闘いにおいて、ウクライナは核兵器を放棄した後に重要な領土を奪われました。かつて旧ソ連の一員で核兵器を持たないジョージアは、国土の半分がロシアに支配されています。南アジアでは、敵対する二つの国が核兵器を保有して後、紛争は抑制的になりました。一方、東アジアや東南アジアでは、核兵器国中国が縦横無尽に核無き国を侵食席巻しつつあります。我が国の領土の一部も風前の灯です。ロシアは原子力で飛ぶ無限の射程距離を持つ超音速ミサイルを実用化しました。INF条約の制限を受けない中国は、最新技術を使った中距離核ミサイルを増強させています。北朝鮮は核兵器の完成によって交渉力を得たからこそ米朝会談に臨んだのです。

広島の原爆から74年間、私達は「核と人類は共存できない」というスローガンとは裏腹に、格段に高度化された核兵器の世界に生きています。オバマ前大統領は、核兵器廃絶を目標に置きましたが、同時に、「我々が生きている間には実現しない」と指摘しました。それが世界の実情なのです。それならば、当面の平和をどうやって維持するのか、私達の安全と生存をどのように担保するのか、世界各地で進行する紛争が、核戦争にならないためにはどうすれば良いのか、私達は懸命に知恵を絞って行動することが求められます。このような現在の世界の現状をつぶさに見れば、現行憲法の規定は独善的であり、阻害要因に満ちています。速やかに国際社会の常識に叶う方向に改正することが絶対に必要です。

 一昨年は122ヶ国が賛成した「核兵器禁止条約の採択」が持て囃されました。我が国では、一挙に核無き世界が実現するかのごとき期待感までありました。しかし、この条約は現行の国際条約と対立的で、日本の安全保障の枠組みを破壊する欠陥を含んでいます。よって私達はこの条約加盟に反対です。今や、条約に賛成した国の態度も変わりました。サウジとエジプトは、イランとの関係で核武装意思を表明し、イランは保有する核設備で核兵器準備を始めました。

2019年4月現在、この条約が発効するために必要な50ヶ国の批准にはほど遠く、批准した国の数はその半数程度にしか過ぎません。また、仮に発効したとしても「核無き世界」は全く期待出来ません。それにも関わらず、条約への幻想と「核廃絶」スローガンとが結合して、我が国には安全保障を度外視する雰囲気が漂います。憲法を盾とする平和主義は、現憲法を狭量に解釈して、安全保障方策が現実に機能することを阻害しています。安全保障の土台無くして平和はあり得ません。私達は、他国の支配を排除して、迫る危険から私達の安全を守るのは私達自身であることを自覚します。正当な安全保障手段を持ち、今の平和をさらに堅固にして子孫達に渡すことが、被爆者に繋がる私達の願いであり、責務です。過ちは二度と繰り返させません。

 

            平和と安全を求める被爆者たちの会